Amer Sports Japan
アメアスポーツジャパン株式会社は、マウンテンスポーツブランドのサロモン、カナダのノースバンクーバーで誕生したアウトドアブランドのアークテリクス、ボールスポーツブランドのウイルソン、スキー用品のアトミック、フリースタイルスキーのトップブランドとして君臨するアルマダスキー、スウェーデンのプレミアム・アウトドアブランド、ピークパフォーマンスをグループ傘下にもつ、世界最大のスポーツ用具・機器メーカーの日本法人です。
常に最新の、そして最良のスポーツギアを日本のみなさまにご提供するため、本国から製品を輸入・販売するだけでなく、市場の変化やニーズを的確にとらえ、お客様の声に耳を傾け、日本市場に適した商品の開発・製造を行ってまいりました。
現在では、日本の企画提案は本社の製品開発に強い影響を与えており、6ブランドすべての戦略に反映されています。
各業界トップクラスのスポーツブランドが集まる、そのポートフォリオを最大限に生かし、高い技術力とイノベーションを軸に、これからもスポーツを楽しくしてゆきたいと考えています。
2000 ~
ブランド名の更なる普及、ブランド製品の販売網の拡大を目指し、2002年,アメア スポーツの日本法人であるウイルソン・ジャパン株式会社の社名を「アメア スポーツ ジャパン株式会社」に変更しました。
この新しい社名の元、ウイルソンブランドは、3ピースのテニスラケット「トライアド」、「ダブル・コア」テニスボール、「DeMARINI二重管」や「HALF&HALF(コンポジット)軟式」、「HALF&HALF+2重管ソフトボール」バットなどを発表。また、ゴルフ分野でも、新素材アイアンの「クロモリ」、超初速ヘッド設計の「TAB IRON」、カーボンコンポジット「Nc4」ドライバー、完全重心バランスゴルフボール「トゥルー」といった新技術を搭載した製品を次々に発売し、数々のグランプリを受賞いたしました。更に、アトミックブランドは、スキー、プレート、ビンディング、ブーツの全てが技術とデザインの双方から完全に一致するスキー用具「アトミックスノーシステムコンセプト」へフォーカス、世界中のプレイヤーから賞賛と高い評価を得ると共に、バーター構造のメイン素材の変更やナノテクノロジーを搭載した新製品を次々に発表しました。
また、2001年にアメアグループの一員となったダイブコンピューターで世界のトップメーカー「Suunto(スント)」は、PC接続型、GPS機能搭載、トレーニングやゴルフに特化した「リストップコンピュータ」を次々に発表。エリプティカルフィットネス機器のトップメーカーの「Precor(プリコー)」は、マシン利用状況をITで一括管理する「InSite」システムを発表。更に「カーディオ・シアター」と「クラブコム」の経営権を獲得し、エンタテインメントサービスの拡充をはかり、業界唯一のトータルボディ・エリピティカル・クロストレーナーも発表しました。
2005年にグループの一員となった「Salomon(サロモン)」からもその季節に合わせたアクションスポーツとアウトドアスポーツの新製品を発表し続けました。
1990 – 1999
1990年代、池山隆寛をアドバイザリー・スタッフに迎え、池山モデルグローブ&バットを発表しました。また、スレッジ・ハンマー設計の逆三角形デルタ・ヘッドやハイパー・カーボンを採用したのテニスラケット、DFS-ダイヤルフィットシステムを搭載したZ-CATCHやクイックトップレザーのグローブを発表するなど、ウイルソンブランドより数々の革新的な技術を搭載した製品が発売されました。更にウイルソンブランドと共にアメアスポーツの一翼を担うアトミックがベータテクノロジーの特許を取得し、このテクノロジーを搭載したスキーでヘルマン・マイヤーがオリンピックで金メダルを獲得しました。
1980 – 1989
1980年代、ゴルフ用品に続いてテニス用品と野球用品の国内販売を開始しました。ロッテ・オリオンズの西村徳文選手や阪神タイガースの掛布雅之選手らと契約を交わし、日本人初のアドバイザリースタッフとなった掛布雅之モデルのバットとグローブが誕生しました。
1985年、販売力の強化を目指して、ソニー株式会社との合弁を解消し、米国ウイルソン100%出資の日本法人として「ウイルソン・ジャパン株式会社」が設立されました。
1989年、当時すでにフィンランドのトップ企業であり、一大コングリマリットに成長していたアメア・グループ(Amer Group Ltd.)と経営統合し事業の拡大を目指し、経営基盤の更なる強化とシェアの拡大を目指しました。また、その長い歴史の中で培われ世界中に浸透しているブランド名「ウイルソン」は、統合後も継続し、そのブランドを守り、拡大していくことになりました。
1970 – 1979
1973年、事業の拡大と経営の安定に向けペプシコ社(Pepsico Inc.)との提携を決定し、ウイルソンスポーツ用品の国内販売代理店権を持っていたパシフィック・オーバーシーズ社と米国ウイルソン社の経営母体であるソフト・ドリンク等で有名な一大コングリマットであるペプシコ社との50:50の合弁会社として「ウイルソンスポーツ株式会社」を設立。事業部制を導入し、「ゴルフ」「ラケット・スポーツ」「チーム・スポーツ」部門に分轄し組織形態を変更し、事業の効率化に成功しました。同年、日本にも販売支社「ウイルソンスポーツ株式会社日本支社」が設立され、ウイルソンブランドのゴルフ用品の販売を開始しました。
その後、ゴルフ用品で順調にシェアを延ばしていた日本支社は、1979年、国内の新たなパートナーとして世界的な家電メーカー、ソニー株式会社とペプシコ社の合弁会社を設立、「ソニーウイルソン株式会社」と社名を変更しました。